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シリーズ 博報堂DY アイ・オーの “ヒトビト”

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博報堂DYアイ・オーで働く人々の生のをお届けします!

松﨑勇樹 全身画像

“援助を受けるというスキルを得て、人を援助し、行動しています”

博報堂DY アイ・オーのヒトビトファイル

Vol.01松﨑勇樹Yuki Matsuzaki

視覚障害者(全盲) 2013年4月入社

経営計画管理室 ヘルスキーピング課 勤務

現在、私は「赤坂Bizタワー」にてヘルスキーパー(企業内理療師)として常駐し、「博報堂DYグループ」社員の方々の肩こり、目の疲れ、腰痛、リフレッシュなどに対応しています。このほか、カルテ記入や電話での予約応対、メールチェック、備品の管理なども行っています。障害者が働きやすく、働きがいのある会社の体制はもちろん、上司や同僚のサポートがあって今の私がいます。

01ある朝、視界がゆがんでいた

「博報堂DYアイ・オー」に入社してから約3年の月日が経ちました。私にとっては、大きく人生が変わった3年間でした。
私はもともと先天性の弱視で、以前は視力0.2ないし0.3くらいは見ることができていました。大学の商学部を卒業してから「筑波大学附属視覚特別支援学校(※1)」鍼灸手法療法科にて学び、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。利用者さんの自宅にうかがう訪問マッサージの職に就いていました。
結婚して家庭を築き、長男が生まれて2カ月ほどした頃。ある日の朝、起きたら視界がゆがんで、暗くなっていたのです。驚き、あわててかかりつけの病院にいきましたが、回復することはなく視力は低下する一方。文字も見えにくく、歩くこともおぼつかなくなりました。利用者さんのお宅を訪問することもままなりません。生活上の困難はもちろんですが、仕事ができなくなっては困ります。自分が移動せずに施術できる仕事に変わろうと転職を決心しました。
何社か面接にいき、複数の拠点があってヘルスキーパーの人数も多いことや待遇面などを考慮してこの会社を選びました。研修もあり、事務作業も含めていろいろなことが学べること、通院のための融通もききますし、長男の育児を考えると勤務時間がしっかり決まっていることも魅力でした。

02家族の言葉と、温もりが光に

希望の職場に転職できたのはよかったのですが、働き始めた頃は大変でした。見えていたものが見えなくなり、できていたことができなくなっていく。そんな中で仕事を覚え、家に帰ると子育てしなくてはいけない。焦りと不安で精神的に追い込まれていく毎日でした。
「見えない、できない」と弱音を言う私をいつも慰め、励ましてくれていた妻ですが、そんな妻からあるとき「見えないのはしかたないじゃない。そろそろ前向きになって!」と言われたのです。もちろん、その言葉をすぐに受け入れられたわけではありませんでした。でも、言われたことをきっかけに少しずつ変わっていけたように思います。
入社して数カ月たった頃、私の目は光を失いました。けれど、ずっと絶望してはいられなかった。日々、成長していく息子がいたからです。最初は泣くか寝ているかだけだった息子がハイハイできるようになり、つかまり立ちができて歩けるようになる。おしゃべりできるようになってくる。そんな彼の笑い声や身体の温もり、存在自体が私の光になってくれた。小さな息子が、私に生きる力を与えてくれたのです。

  • インタビューの様子:横顔の松崎さん

できることが、たくさんあった

03働きながら、訓練を行う毎日

働きながら、さまざまな訓練ができたことも支えになりました。上司や同僚に助けていただきながら、どんなサポートが得られるか、自分がどこまでできるかを探りつつ、自治体のサポートを受けての歩行訓練、障害就業支援によるパソコン技能の習得など訓練を行っていきました。
歩行訓練では、最初は白杖を持つこと自体、人からじろじろと見られているように感じて抵抗がありました。でも白杖の使用には、周囲の状況をとらえる、安全を確保する、視覚障害者であることを周囲の人に知らせるなどの目的があります。白杖を使う自分を受け入れるようになり、同僚に励まされながら歩行訓練を行いました。
入社してから二度、目の手術をして、一度は1カ月ほど休みをとらなくてはいけなかったのですが、同僚からは「安心して療養してきてね」と声をかけていただきました。とはいえ「復帰して、うまくやっていけるのかな」と入院中は不安な気持ちに。退院後、みんなが温かく受け入れてくれて、よい職場に恵まれたことに感謝しました。

04人の助けを借りると、できるようになる

視力が低下し始めた頃は絶望的な気持ちでしたが、音声ソフトでパソコンも使えるし、訓練すればできることが意外にたくさんある。それに気づいたことからも前向きになりました。以前は、できることはなるべく人に頼らないでやろうと思っていて、なんとか自分の目で見ようとしてすごく目が疲れたり、肩が凝ったり。今は、できることは自分でやるけど、できないことはお願いしようと割り切れるようになりました。
自宅から職場までの道のりでは、いつも20人くらいの方々に助けていただきながら通勤できています。名前も知らない方々ですし、中には親会社の役員の方も。温かい方々に囲まれていると感じています。業務上でも助けを得ることが自分のスキルとなりました。できないことも人の力を借りるとできるようになる。できることが増えると自信にもなっていく。見えないことを受け入れられなかった頃は、自分の意見を言わずに我慢していることも多かったのですが、乗り越えられた今は意見を言えるようになりましたし、大勢の前でも自信を持って話ができるようになりました。

  • 施術の様子:黙々と励む松崎さん

05自分から、声をかけていくこと

業務上で心がけているのは、自分からコミュニケーションをとること。ミスを防ぐために弱視の同僚とペアを組んで行う作業もありますし、紙の問診票の確認や社内便の宛名を書くなどの作業は、弱視の同僚にサポートしてもらいながら行っています。声をかけて相手の状況に配慮しながら、無理なく業務を円滑に進められるようにしています。
施術中は利用者さんにも辛いところがないか聴くなど声かけを大事にし、子育てや趣味の話など雑談をしながらリラックスしていただけるよう気を配っています。嬉しいのは「ラクになったよ」など感謝の言葉をもらったとき。「もうちょっと強くやってほしい」など正直におっしゃっていただけるのもありがたいです。

06教える、伝える、行動する

以前よりも人との関わりが増えて、仕事の幅も広がりました。昨年は母校から声をかけられ、学生の実習の受け入れを上司に提案して実施しました。以前は自分からそのような提案をするほうではなかったのですが、母校に恩返ししたいという気持ちもあって企画しました。2週間、トレーナーとして教えることの大切さも学び、自分自身も基本に立ち返ることができました。新年度もまた実施するよう計画に組み込んでいただいています。
新入社員の研修で話をさせてもらったことも、よい経験になりました。障害者にどのような配慮やサポートが必要なのか理解してもらう研修で、私自身もあらためてどのようなサポートがあったらいいのか考え直す機会にもなりました。
そこからヒントを得て、視覚障害者の学生に社会人としてアドバイスできないかと考えました。「弱視者問題研究会(※2)」という団体で発起人となってメンバーを募り、学生を対象に講演や意見交換、相談などの会を開く予定です。自分がやるべきことはなんだろうと考え、こういうことに困っていたな、こういうことを伝えたいなと思い、行動できていることが嬉しいです。

07さらに、チャレンジを重ねていく

同僚たちと援助し合う中で成長できていることを日々、実感しています。職場環境に貢献したく、昨年末には職場の衛生全般を管理する衛生管理者という資格を取得しました。今後は、利用者さんの精神面もサポートできるようにメンタルヘルスについての検定取得、また生活するためには経済面も大事だと思っているのでファイナンシャルプランナーの資格取得も考えています。
今は音声化されたテキストも多く、いろいろな分野の読書や勉強もできるようになってきました。多くの方と関わるようになって興味の範囲も広がり、人材開発などにも関心が向いています。これからも資格を取るなど、さまざまなことにチャレンジしていきたい。個人としても企業人としても、さらに貢献できるよう幅広く自分を生かしていこうと思います。

※1 筑波大学附属視覚特別支援学校 (http://www.nsfb.tsukuba.ac.jp)
※2 弱視者問題研究会 (http://jakumonken.sakura.ne.jp)

  • オペレーション業務の様子:笑顔で電話を受ける松崎さん